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大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)1030号 判決

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、別紙図面(一)表示のネッスル日本労働組合名義の印章、同図面(二)表示の右労働組合の委員長名義の印章及び原判決添付別紙別表記載の銀行預金通帳、その届出印並びに原判決添付別紙目録記載の各書類を引渡せ。

3  被控訴人らは、控訴人に対し、各自金一〇〇〇万円およびこれに対する昭和五九年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文同旨。

第二  当事者の主張

左記のとおり付加し、原判決二枚目裏一二、一三行目の「「ネッスル日本労働組合」の旧公印、旧委員長印」を「別紙図面(一)表示の「ネッスル日本労働組合」名義の印章、同図面(二)表示の右労働組合の委員長名義の印章」と、原判決事実摘示中の「本件公印等」を、「本件印章等」とそれぞれ訂正し、原判決添付別紙目録末尾に、「但し、いずれも昭和四〇年から同五七年までのもの」と加えるほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一  組合の分裂に関する理論的検討

旧組合が内部対立により、その統一的な存続、活動が極めて高度かつ永続的に困難となり、その結果、旧組合員の集団的離脱及びそれに続く新組合の結成という事態が生じた場合に、初めて組合の分裂という特殊の法理の導入の可否につき検討する余地が生ずる(最判昭和四九・九・三〇)のであるが、旧組合の内部対立により、組合の統一的な存続及び活動が困難となり、その結果発生した混乱状態をもって直ちに分裂と即断することは許されず、更に、旧組合が機能喪失により自己分解したか否かを検討した上で、分裂したか否かが決せられるべきである。

それ故、旧組合が分裂により消滅し、何ら継続性のない複数の新組合が発足したと認定するためには、旧組合と各新組合との継続性に関し、形式的、実体的の両側面から検討の上、継続性が否定された場合に初めて分裂を認定すべきである。

二  旧組合における紛争の経過及び旧組合と控訴人との継続性について

1 昭和五七年七月頃から同五九年九月頃までの旧組合における紛争の経過は、次のとおりである。

2 また、控訴人及び斎藤ら一派の組織(以下、第一組合派といい、昭和五八年三月二〇日の第一九回臨時全国大会後の同派による組合を第一組合という。)と旧組合との継続性に関し、実体・運営手続の両側面から対比検討すると、次のとおりである。

三  右二の1紛争の経過に同2の実体、運営手続面とを対比すると、次の事実が明らかである。

1 昭和五七年度の役員選挙において、三浦は、旧組合の執行委員長に当選している。

2 同五七年一一月一三日の時点で組合が一つであったことは、旧執行部が三浦らに制裁処分を課したことにより明白である。

3 三浦らへの制裁処分に対して昭和五七年一二月二日仮処分決定がなされ、同日以降制裁決議の効力が停止されている。

4 昭和五八年一月四日付で斎藤らはチェック・オフ協定の破棄を会社に通告し、旧組合に対する組合費支払拒絶の意思を明確に行った。

5 昭和五八年一月一五日第一組合派は、第一八回臨時全国大会と称して、確認書を提出した約三〇〇人で集会を開いている。

しかし、右集会は旧組合規約にない全国大会という形式で行われており、また現実に出席した組合員は一〇〇人に過ぎず、しかも右規約にない委任状による議決権行使が行われている。このような点を考慮すると、右集会は到底組合大会とはいえず、旧執行部が第一組合派を色分けするために行った単なる集会に過ぎない。

6 昭和五八年二月二五日、仮処分決定によって、斎藤を委員長に選任した決議の効力停止、三浦の委員長職務執行妨害禁止命令がなされている。

7 三浦は、右決定に基づき委員長として、旧組合規約に則り、選挙管理委員会に指示し、まず未処理であった組合本部役員の信任投票を行っている。そして、被選挙者の中には旧執行部役員であり現在第一組合員と称している植野修も含まれており、当然、当時確認書を提出していた組合員にも選挙権が与えられ、現に植野の支持票も投票されている。

8 昭和五八年三月二〇日、斎藤らは第一九回臨時全国大会と称して、再度確認書を提出した者のみで集会を開き、旧組合規約のうち、名称(第一条)・目的(第三条)等最も基本的な部分に変更を加え、更に支部の地位(第一五条一項三号)・代議員数(第二六条二項)等その機構に関する部分をも変更して、これを第一組合の規約とした。

9 昭和五八年四月中頃、斎藤らは三浦らの要求に従い本部組合事務所を明渡し、以来継続して控訴人組合がこれを使用している。同年五月一三日、新執行委員会の決議により椿ら専従者四名は専従を解任され、復職している。

三浦は、同年五月一八日、旧組合の執行委員長として臨時全国大会開催の公示を、選挙管理委員会も同日そのための代議員選挙の公示をそれぞれ行い、同年五月二八日に、臨時大会開催のため代議員選挙を実施したが、この代議員数は第一組合に確認書を提出した者をも含めた同年四月三〇日当時の組合員数を算出基準としており、その選挙においても斎藤らをも含め第一組合員全員に選挙権を認めている。

同年七月二五日には、前記仮処分決定の効力として、斎藤の旧組合執行委員長就任登記が抹消され、三浦の執行委員長就任登記がなされた。

同年八月二七日から翌二八日にかけて、旧組合の第一八回全国大会が開催されたが、その代議員選挙においても、その人数は同年六月三〇日当時の組合員総数二一一八名(第一組合派も含めて)を基準として定め、選挙権は総べての組合員に与えていた。

右大会によって、三浦は再度旧組合の執行委員長に選任され同年八月二九日に、重任登記を行い、同五九年八月に行われた第一九回定期全国大会で村谷が委員長に選任されるまで、委員長としての職務を執行している。

その後、控訴人組合は現在まで毎年八月定期全国大会を開催し、役員の選挙を行っているが、そのいずれの選挙においても、第一組合派の組合員にも選挙権、被選挙権を認めていることは従前どおりである。

四  右二、三のとおり、三浦は、選挙によって、旧組合の正当な執行委員長に選任され、その後不当な処分によって一時的に同委員長としての職務執行を妨害されたものの、三度に亘る仮処分決定によって、その妨害を排除した上、旧組合規約に従い、未処理であった組合本部役員の信任投票を行うなどして本部役員の陣容を整え、昭和五八年五月二八日には臨時全国大会を、そして同年八月二七日には定期全国大会を開催し、選挙を行う等委員長としての職務を執行し、右委員長の地位は、現在の村谷委員長に引き継がれた。しかも、右手続の総てが組合規約に従ったものであって、組合員全員に選挙権・被選挙権を与えた上で行われている。その上、上部団体との関係から見ても、控訴人組合は旧組合当時から引き続いで食品労連に加盟しており、その会費も、旧組合当時と同様に、第一組合派の組合員をも含めた組合員数による額で支払っているほか、食品労連の役員に控訴人組合員が就任している。このような手続的な継続性は、登記が連続している事実や、組合事務所の使用継続状況等の外形的な連続性とも一致しており、このような点からも、控訴人が旧組合の地位を承継していることは明らかである。

また、第一組合派の組合員は、昭和五八年三月当時でも僅か約三〇〇名であって、控訴人の総組合員数二一二一名の一四パーセントに過ぎず、この程度の人数が選挙で当選した委員長に従わないことを確認し合ったとしても、旧組合そのものの同一性には変化が起こり得ない。しかも、第一組合派の組合員は、現在控訴人組合の総組合員数二〇一八名中八一名(右総数中の四パーセント)にまで減少している。

五  一方、第一組合派は、昭和五七年一二月二日に三浦らに対する制裁処分効力停止の仮処分が出されるや急遽、同五八年一月一四日付でチェック・オフ協定を破棄する旨会社に通告し、もって旧組合への組合費支払拒絶の意思を明確に出し、更に同年一月一五日には、確認書を提出した者のみで旧組合規約に則らない集会を開いて、その構成員を確定し、同年三月二〇日には規約改正(事実上新規約の制定)等の決議を行っているのであって、そこには旧組合との手続的継続性は全く見受けられない。

また、登記や組合事務所の使用状況、更には、上部団体との関係等実体的な観点からしても、第一組合と旧組合との継続性を認めることはできない。

六  それ故、仮にネッスル株式会社に現在二つの組合が併存するとしても、これに至った法的形態は、分裂ではなく、斎藤らの第一組合派が昭和五八年一月四日付で、チェック・オフ協定破棄の申し入れを会社に行うことにより、旧組合への組合費支払拒絶の意思を示し、続いて同年一月一五日の集会で、三浦体制には従わないとの趣旨の確認書をもって構成員を確定した時点で、規約に定められた手続を採らず暗黙の内に、集団的に旧組合を離脱・脱退し、同年三月二〇日の集会を第一回大会として、新規約を定め、旧組合とは別個の組織としてスタートしたものというべきである。

(被控訴人らの答弁及び主張)

一  控訴人の主張はすべて争う。

控訴人は、以下のとおり、旧組合と無関係であって、その承継者ではない。

二  第一組合の名称・規約等について

1 控訴人は、旧組合の名称・規約がそのまま控訴人によって継続使用されていることを根拠に、控訴人が旧組合の正統な承継人であると主張している。

2 しかし、一企業内に労働組合が複数存在するに至った場合、一方の組合が他方の組合との混同を避けるため、名称や規約に識別のための一定の工夫をこらすのは当然のことである。このようにして第一組合が、同一名称の控訴人と区別するため、略称として「ネッスル第一組合」の名称を用い、或いは旧組合規約の一部を組合併存状態に見合ったものに改訂したとしても、それが「第一組合が旧組合を脱退したと根拠付けられる合理的な理由」とされる必然性はない。

3 控訴人が、自ら及び第一組合という二個の労働組合が併存するのにこれを否定し、被控訴人らを控訴人の組合員であると強弁するのは、会社が第一組合の存在を否認し続けていることに起因する。すなわち、会社は、第一組合との団交を拒否する口実として、控訴人が第一組合の存在を否認し、そのメンバーを組合内少数派と主張している以上、第一組合と団交を持てば控訴人に対する不当労働行為になるとの考えを示している。

このように、会社は、第一組合に対する不当労働行為の隠れ蓑として控訴人を利用し、控訴人も会社の不当労働行為を隠蔽するために働いている関係にあるからこそ、控訴人は、第一組合の存在を否認し続けているのである。このような会社と控訴人の関係を無視して、形式的な名称・規約が同一であることをもって控訴人と旧組合との同一性を判断することは誤りである。

4 控訴人は、旧組合の法人登記を控訴人が引き継いでいることをもって、控訴人を旧組合の正統な承継人である根拠にしているけれども、これも誤った主張である。すなわち、労働組合が団結権の権利主体として法的に社団として認められたのは、財産権の権利主体として財産取引を行うためではなく、それが労働者を組織し統一的集団行動を展開する主体として歴史的にも公認されてきたという性格に基づくもので、もともと労働組合が法人格を取得しなければならない必然性はない。労組法一一条が労働組合に法人格取得の途を開いているのも、代表者個人の財産と組合財産との明確化のためのものであって、労働組合も財産取引関係においては、自ら権利義務の主体となることが望ましいという便宜的観点に基づくものにすぎない。

したがって、法人登記の有無をもって旧組合の承継人判断の根拠とすることは許されない。

5 控訴人は、旧組合の事務所を自らが占有していることをも、旧組合の正統な承継人であることの根拠の一つとする。しかしながら、控訴人は、第一組合が占有していた右事務所を会社の黙認の下に暴力的に第一組合から奪い取ったものであるから、控訴人による右占有は正統性の根拠たり得ない。

三  第一七回大会について

控訴人は、三浦らに対する二度にわたる制裁処分が定足数を欠く全国大会において決議されたものであるから無効であると主張するけれども、右見解は以下のとおり誤っている。

1 右定足数を満たさない事態が生じたのは、次の経過による。すなわち、昭和五七年一一月に開催された第一七回全国大会の代議員定数は、八三名であるが、代議員選挙により当選に必要な得票を得ていたものは七七名であって、うち四二名は「団結強化の方針」を指示する立場の代議員で一一月六日の大会当日も出席したけれども、その余の三五名はインフォーマル・グループに組織されたものであった。

ところで、右大会においては、「団結強化の方針」が採択され、インフォーマル・グループに対する統制処分がなされ、会社の支配介入工作が水泡に帰すことが確実視されたため、インフォーマル・グループに組織された大会代議員は、会社の指示により、急遽一一月六・七日と一三日に開催された第一七回大会の出席をボイコットし、本部の機能を一切停止させることに踏み切った。

ところで、第一七回大会に出席した代議員は、右ボイコットが会社の指示によることが明白であったため、ボイコットをした代議員が代議員資格を放棄したとみなして大会の成立を確認し、「団結強化の方針」その他を決議すると共に本部役員の選出を行った。

2 右のとおり、組合の規約上定足数が満たされなくなったのは、会社の組織介入の結果であって、かかる不当労働行為がなければ、インフォーマル・グループによるボイコットもなく、正常に大会が開催されたのである。

もし、定足数不足という形式的理由のみで右決議が無効とされるならば、会社の不当労働行為のやり得を許す結果になる。

また、もしも代議員の大会出席ボイコットが肯定されるならば、その規約は少数派に組織運営の方針決定権を付与するという反民主的な結果を保障するものとなるし、更にボイコットにより、最高意思決定機関の機能が全部停止され、組織が存続し得なくなるという不合理な結果をも招く。

更に、組合規約が一般組合員の各級機関への出席・参加義務(一一条二号)に加え、全国大会代議員に対し、特別の出席・参加義務を課している(二六条一項)ことよりすれば、意図的に出席ボイコットをした大会代議員は、代議員権を濫用し、その資格を自ら放棄したものであるとして、「定足数」の基礎に算入せず、これ以外の者をもって定足数を計算することが許されると解すべきである。

ましてや、本件のように、組織上の混乱が会社の悪質な組織介入により現実に生じており、規約改正等をなすために時間を掛けていては会社の意図する組織介入の目的が達成されてしまう事態の下では、緊急に大会を成立させて、多数派の意思に基づき、組織運営方針を決定することが認められて当然である。

四  仮処分決定について

控訴人は、三浦らが神戸地方裁判所の仮処分決定において、統制処分の効力を停止され(昭和五七・一一・一三のいわゆる「第二次仮処分」、同年一二・二のいわゆる「第三次仮処分」)、あるいは委員長としての地位が保全され、斎藤委員長の職務が停止されたこと(昭和五八・二・二五のいわゆる「第五次仮処分」)をもって、三浦らが旧組合の本部役員として正規に選出されたことの根拠としているけれども、これら仮処分はその後いずれも取り下げられ、実体法上の効果が遡及的に消滅しているのであるから、控訴人の右主張は失当である。

五  その他の正統性について

1 旧組合員が第一組合員と控訴人の組合員とに分離し始めたのは昭和五七年一二月から同五八年一月にかけて各支部で実施された支部大会・支部役員選挙が契機となっている。ところで、インフォーマル・グループは、旧組合規約に基づかずに支部大会・支部役員選挙を実施したのであるから、右グループが旧支部とは別個の支部を結成したことは明らかであり、これらの支部により構成された控訴人が、旧組合とは別個の組織であることは明らかである。

2 昭和五七年一〇月実施の旧組合本部役員選挙において、三浦は本部執行委員長に立候補し、当選に必要な有効投票数の過半数を得たが、右投票は、インフォーマル・グループに組織させた係長(組合員資格を有する。)や課長などの管理職が、組合員に対し不利益取扱を示唆しながら行った露骨な選挙介入によって獲得されたもので、組合員の多数意思を蹂躪したものである。

3 昭和五七年一二月以降、第一組合が集めた確認書は、インフォーマル・グループが主宰する支部大会・支部役員選挙に参加するなど第一組合から離脱したものと、第一組合に留まるものとを明らかにするため、第一七回大会で決議された「団結強化のための方針」に基づき実施されたものであり、第一組合の方針に反する労働者の排除のためになされたものではない。したがって、第一組合が確認書を集めた故をもって、第一組合が旧組合と無関係な存在であると判断することは許されない。

六  控訴人が旧組合の承継者でないことについて

以上一ないし五で検討したとおり、

1 控訴人は、会社が第一組合を否認し壊滅させるための不当労働行為を隠蔽し、或いは会社に代わって各職場で第一組合員を脱退させる役割を担った御用組織であって、労働組合の名を藉りた「会社の労務管理部」にすぎないから、旧組合の正規の承継者たり得ない。

2 控訴人は、旧組合を承継したと見られる手続的な連続性と整合性を有せず、幹部自身も旧組合から統制処分を受けていること、大会代議員七七名中三五名という少数の代議員しか組織できず、過半数さえ制し得なかったこと等を考慮すると、控訴人が旧組合の承継者とはいい得ない。

七  旧組合の消滅について

1 労働組合は、使用者に対する交渉力を高めるために労働者の集団行動の組織化を図る機能が認められなければならないし、使用者からの絶えざる攻撃から迅速に組織を防衛しなければならない。

そのための根本原理が、労働組合の意思決定の場における多数決原理であり、右原理そのものが機能を停止すれば、即、組合の運営方針の確立及び使用者の支配介入に対する対抗が不可能になるのであって、それは労働組合の社団性そのものが否認されるという自殺行為に繋がる。

2 ところで、旧組合が昭和五七年一一月に開催した全国大会は、年一回定期的に開催される労働組合の最高意思決定機関であって、最重要課題が討議される大会であった。しかも、当時は、会社から旧組合に対する支配介入の不当労働行為が頻発し、旧組合としても対抗策を迅速に打ち出す必要があった時期である。

三浦らインフォーマル・グループが、右の時期に開かれた最も重要な定期全国大会に対しとった欠席戦術は、明らかに右多数決原理そのものを否定する行為である。

3 もしも、第一七回定期全国大会における決議が無効であるとするならば、同大会を契機に旧組合は、多数決原理を完全に停止され、労働組合(すなわち旧組合)の機能(労働力の集団的把握と使用者対抗性)も時間と共に急速に衰弱化して行ったものと見ざるを得ない。すなわち、〈1〉右大会の決議が無効だとすれば、本部執行委員長である川上能弘が執行委員会を召集し、或いは本部役員の決戦投票を実施し、第一七回定期大会を再度召集する等の旧組合の機能回復措置を採らなければならないのに、〈2〉インフォーマル・グループは組合規約を無視して各地で勝手に支部大会を開き、〈3〉三浦は第一七回大会は流会したと主張しながら、他方ではその成立を前提にして右大会の翌日から本部執行委員長に就任したと称し、独自に本部執行委員会を召集し、その決議に基づき昭和五八年六月六日には臨時全国大会まで開いている。〈4〉一方、被控訴人らも、このままでは旧組合の機能が停止してしまうので、正規の支部大会を持ち、同年一月一五日、同年三月二〇日に臨時全国大会を開催している。

こうした当時の状況からすれば、旧組合は次第に多数決原理さえ働かせることが出来なくなり、労働組合としての機能を喪失して自然消滅したと見るべきである。

4 ところで、労働組合の分裂の一形態として、組合が機能を全く停止して自然消滅とみられるような状態のなかで、二個以上の組合が分離独立する場合が存在するところ、本件の如く多数決原理が全く働かなくなり、しかも第一組合、控訴人(第二組合)ともに旧組合の名称、規約をも含めて総てを承継したと主張し、互いに何の連絡もなく今日に至るまで独自の活動を行っている状況からすれば、既に旧組合は労働力の集団的把握と使用者対抗性という本来の労働組合機能を完全に喪失したものであって、旧組合は右両組合の併存が確定的となった昭和五八年三月二〇日の時点において消滅したと解される。

八  被控訴人らの被告適格について

1 被控訴人らは、いずれも第一組合の役員として本件印章等を管理していたものであり、独自の占有権限を有するものではない。

すなわち、第一組合が労働組合として存在することが明白である以上、本件印章等の占有者は第一組合であって、被控訴人らは、第一組合の機関としてこれを占有しているに止まり、直接占有者ではないから、被告適格を有しない。

2 しかも、被控訴人らのうち、被控訴人大原、同椿は共に本部執行委員の地位を退いており、第一組合の役員として本件印章等を管理する立場にもない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  旧組合が、ネッスル株式会社の従業員をもって昭和四〇年に単一労働組合として結成され、昭和五五年七月一八日、その設立登記がなされたことは、当事者間に争いがない。

二  ところで、控訴人は、自らが旧組合と同一性を有する旨主張し、これに対して、被控訴人らは、第一七回定期全国大会開催を契機に旧組合は組織的統一性を保持できなくなり昭和五八年三月二〇日限り分裂により消滅している旨抗争するので、まずこの点について検討する。

1  組合活動等の状況について

(一)  第一七回定期全国大会開催に至るまでの状況

昭和五七年七月二〇日、旧組合の本部執行委員長川上能弘が第一七回定期全国大会を同年八月二八日、二九日の両日に開催する旨公示し、また、同本部選挙管理委員長小山尚一が昭和五七年度本部役員選挙並びに全国大会代議員選挙を右大会に先立って行う旨公示したこと、その後、旧組合の本部執行委員会が、右各選挙を中止し、第一七回定期全国大会の開催を延期する旨を決定したこと、本部執行委員会の右各措置に対し、当時執行委員であった三浦一昭らが発起人となり、全国大会の開催及び選挙凍結の解除並びに右措置に賛成した本部役員の弾劾を求める署名活動を行い、同年九月上旬、三浦一昭らが、神戸地方裁判所に対し、前記各選挙の即時実施及び定期全国大会の即時開催を求める仮処分申請を行ったこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 旧組合の全国大会は、組合の最高決議機関であって、定期大会は年一回とし、原則として八月に開催すること、全国大会代議員は大会の都度支部を一つの選挙区として組合員の中から二五名に一名の割合で選出することとされていた。

そこで、旧組合の本部執行委員長川上能弘は、昭和五七年七月二〇日、第一七回定期全国大会を同年八月二八、二九日の両日に開催する旨公示し、また、同本部選挙管理委員長小山尚一は、全国大会代議員選挙につき、立候補受付期間を同年七月二六日から同月二八日まで、投票日を同年八月一一日とし、本部役員選挙につき、立候補受付期間を同じく七月二六日から同月二八日までとし、定数は本部執行委員長、同副執行委員長、同書記長、同副書記長各一名、同執行委員一〇名、同監査委員二名とすること、投票は全組合員の一般投票による旨をそれぞれ公示した。

ところで、旧組合規約及び選挙規定には、本部役員の選挙は全国大会で行うが、本部執行委員会の決議を経て組合員の一般投票をもって代えることができること、当選得票数は組合員もしくは全国大会代議員の有効投票総数の過半数の支持が必要とされていたが、その得票数に達しない場合には、定数に達する得票者の上位者について信任投票を行うこととされていたこと、役員の任期は定期全国大会の翌日から次の定期全国大会終了日までとすることが定められていた。

かくして、当時、本部四役の地位にあった右川上能弘、被控訴人斎藤勝一、同大原勝弘、同中川謙は、会社による組合本部の乗取り、組合の御用化を防止するという立場から、それぞれ本部執行委員長、同副委員長、同書記長、同副書記長に立候補し、また、当時の本部執行委員であった被控訴人椿弘人らも、右川上能弘らが主張する現組合本部の方針を支持する立場から執行委員に立候補し、これに対して、現組合本部の方針を批判する立場から、姫路支部執行委員長でかつ本部執行委員であった三浦一昭が本部執行委員長に、村谷政俊が副執行委員長に、田中康紀が書記長に、浜田一男が副書記長にそれぞれ立候補し、本部執行委員については定数の二倍の二〇名が立候補したので、その選挙戦は、当時の組合本部方針を支持するもの(第一組合派)とこれに反対するもの(以下、新組合派という。)との対立の中で展開され、熾烈を極めた。

(2) そうした中で、本部執行委員会は、昭和五八年八月六日、インフォーマル組織(会社が組合内部に組織して強化、育成した組織)及び会社の職制を用いた会社による選挙介入があり、選挙の公正さが損なわれる虞れがあるので、この点について詳細な調査を行い対策を講じる必要があるとの理由により前記大会の開催を延期し、かつ、前記各選挙を凍結する旨決定し、さらに、同月一〇日、本部四役からなる調査団を編成して右の調査を行うこと及び全国大会を同年一〇月末頃に開催することなどを決定した。

(3) 本部執行委員会の右措置に対し、これに反対する新組合派は、右措置が、一部の本部役員による組合の独裁であり、組合を私物化するものであるとして、昭和五七年八月二五日頃から、前記三浦一昭らを発起人とし、右延期、凍結の賛成者である川上能弘並びに被控訴人らの退陣、及び全国大会の早期開催を求める署名運動を各支部で展開し、これに対し、本部執行委員長川上は、本部執行委員及び支部執行委員長に対し、これを中止させるべく指導するよう指示した。

しかして、右署名については、約一七〇〇名の組合員の署名が集まり、同年九月二日組合本部に提出された。

さらに、同年九月七日、三浦一昭らは、神戸地方裁判所に対し、右各選挙の即時実施、及び全国大会の即時開催を求める旨の仮処分申請を行った。

(二)  本部役員選挙までの状況

右仮処分申請後、本部執行委員会が、昭和五七年一一月六、七日の両日に第一七回定期全国大会を開催する旨決定したこと、及び右大会に先立って実施された本部役員選挙の結果、三浦一昭が本部執行委員長に当選し、かつ、その大会代議員選挙により七七名の代議員が選出されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 本部執行委員会は、昭和五七年九月二四日、凍結されていた本部役員選挙、大会代議員選挙を中止し、改めて選挙を行うこととし、また、本部役員選挙を同月三〇日に前記組合員の一般投票により行うこと、大会代議員の投票は同月一八日に行うこと、第一七回定期全国大会を同年一一月六、七日の両日に開催すること及び右大会に追加議案として「団結強化(インフォーマル組織の解体)をはかり、引きつづき労働組合が大きな役割を果たすために」(以下、「団結強化の方針」という。)を提案する旨決定し、さらに、同月三〇日、前記署名運動に関与し組織を混乱させた三浦一昭らを組合員の権利停止等の制裁処分に付すべきであるとして、この旨を本部審査委員会に答申を求めると共に、当時本部執行委員であった三浦一昭、萱原定彦の両名に対し、同執行委員長名をもって、本部執行委員役職の立候補を即時辞任すること及び今後一切の役職に立候補しないことを勧告した。

ところで、右「団結強化のための方針」とは、会社によって結成、育成されたインフォーマル組織が組合の乗取りを画策し、組合内部で不当な行動を行っているので、これらを容認することはでないとし、インフォーマル組織による組合の乗取り攻撃を粉砕するために、「団結強化の方針」(具体的には、これまでの団結破壊の行為者のうち既に制裁の対象となっているものについては第一七回全国大会で処分すること、組合員は会社のひもつきインフォーマル組織から即時脱会の手続をとり、脱会の手続をとらず引き続き団結破壊行為を行った者については制裁を含む必要な措置を採ること等を内容とする。)に結集して頑張るというものであった。

(2) また、本部選挙管理委員会が、右各選挙の立候補者に対し、現組合本部の運動方針及び右「団結強化の方針」等につき、その支持不支持をアンケート方式で問い、これを広報に掲載して公表したこともあって、右各選挙戦は、以前にも増して、第一組合派とこれに反対する新組合派との対立を鮮明にした形で展開された。

(3) 右大会代議員選挙の結果、第一組合派から四二名及び新組合派からの三五名合計七七名の者が選出された。そして、右本部役員選挙の結果では、本部執行委員長に三浦一昭が当選したほか、同書記長、同副書記長、同執行委員に、それぞれ、新組合派の田中康紀、浜田一男、伊東忠夫が当選し、その余の同副委員長及び執行委員九名については、得票数が過半数に達しなかったため、信任投票により当選者を決定することとなった。

(4) なお、本部審査委員会は、昭和五七年一〇月三一日、本部執行委員会に対し、三浦一昭らを二年間の組合員権利停止処分などに付すべき旨を答申した。

(三)  第一七回定期全国大会及び同大会の続開大会前後の状況

昭和五七年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会には、七七名の大会代議員のうち三五名が欠席し、同大会は出席した四二名の大会代議員のみで開催されたこと、右大会においては、三浦一昭らの統制処分を決議し、また、組合役員となるには「団結強化のための方針」の遵守などを書面をもって誓約しなければならない旨決議したこと、右大会の決議に基づき、その続開大会が同年一一月一三日に開催されたこと、右続開大会は、右出席議員のみで開催され、再度三浦一昭らに対する統制処分の決議がなされ、かつ、本部役員選挙により被控訴人斎藤勝一が本部執行委員長に選出されたこと、及び三浦一昭らが、第一七回定期全国大会並びに右続開大会での統制処分を争って、それぞれ仮処分申請を行ったことは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 昭和五七年一一月六、七日に開催された第一七回定期全国大会に、新組合派の前示大会代議員三五名の者が、本部副委員長、同執行委員九名について、信任投票が実施されておらず未確定であること、会計監査が未了であること及び右大会の開催場所や時間の連絡がなかったことを理由に欠席したため、右大会は組合規約が定める、議決権を持つ構成員の三分の二以上とする定足数(組合規約第一八条)を満たさないこととなった。

(2) ところが、本部執行委員会は、欠席した代議員らが「団結強化のための方針」に公然と反対することを表明している者であり、組織的、意図的に右大会をボイコットし、代議員の義務を果たさず代議員たる権利を放棄した者であるとし、これらの者は定足数を定める右規約一八条にいう議決権を持つ者に該当しない者であるとみなし、出席代議員のみで同大会を開催することを決定した。

(3) 右全国大会においては、昭和五七年度運動方針が本部提案どおり決議されたほか、「団結強化のための方針」も決議された。

そして、「団結強化のための方針」の付帯決議として、「ネッスル日本労働組合の機関役員・代議員になるには「団結強化のための方針」を遵守し実践すること並びにインフォーマル組織に加わっていない事を明らかにすることが必要である。したがって、機関役員・代議員になるには、(1)「団結強化のための方針」を遵守し実践すること、(2)インフォーマル組織に加わっていないことを全組合員に対し書面で誓約しなければならない。本決議は採択されると同時に発効する。」という決議をした。

(4) また、右大会においては二一名の組合員に対する制裁が決議され、三浦一昭及び中村節男(島田支部執行委員長)は権利停止二年、萱原定彦ら八名は権利停止一年の制裁をそれぞれ課せられた。

この制裁は、同年一〇月三一日の本部審査委員会の答申に基づくものであるが、三浦一昭らに対する制裁の理由は、前示署名行動の発起人になったことに関連する行為である。

権利停止処分を受けた三浦一昭及び萱原定彦は神戸地方裁判所に対し、右処分の停止を求める仮処分を申請し、同裁判所は同年一一月一三日これを認容する旨の仮処分決定をした。

(5) 右大会においては、昭和五七年度本部役員選挙については一般投票を中止し、第一七回定期全国大会において議決権を有する代議員の投票により選出すること、その公示は一一月七日、立候補受付は同月一〇日及び一一日に行い、投票は一一月一三日の続開大会において行うこと、選挙すべき役職・人数は、本部執行委員長一名、本部副執行委員長一名、本部執行委員九名、本部監査委員二名とすること、立候補に当たっては「団結強化のための方針」の付帯決議に基づく誓約の書面を提出しなければならないこと、田中康紀、浜田一男、伊東忠夫の三名については一般投票で有効投票総数の過半数を満たしているので、それぞれ本部書記長、本部副書記長、本部執行委員に当選したものとみなす旨の特別の措置をとるが、「団結強化のための方針」の付帯決議に基づき、一一月一二日までに誓約書面の提出を求めること等が決議された。

そして、本部執行委員長一名、本部副執行委員長一名、本部執行委員九名、本部監査委員二名について、それぞれ定数どおりの立候補者があり、本部執行委員長の立候補者は被控訴人斎藤勝一であった。

(6) 本部執行委員会は、第一七回定期全国大会における前記統制処分の決議後直ちに、会社に対し三浦一昭、萱原定彦、溝口栄蔵につき本部執行委員を解任した旨通知し、一方、三浦一昭らは、先に行われた本部役員選挙の結果、同人らが本部執行委員長などに当選し、就任しており、右第一七回全国大会は組合規約に違反し不成立であってそこでなされた決議も効力がなく、右当選及び就任に消長を来すものではないとして、同年一一月八日、会社に対し、前記四名(三浦一昭、田中康紀、浜田一男及び伊東忠夫)の本部役員就任を通知した。

(7) 昭和五七年一一月一三日開催の第一七回全国大会続開大会にも、新組合派の前記三五名の代議員らが前同様欠席したことから、本部執行委員会は、同人らは議決権の放棄をしたものとみなして当日出席した三九名の代議員のみで同続開大会の開催を決定し、右大会は、三浦一昭らに対する前示統制処分を暫定的に取り消し、改めて同一の権利停止処分に付する旨を決議し、ついで、前記の誓約書を提出した第一組合派の立候補者を対象に代議員による本部役員選挙が実施され、その結果、本部執行委員長に被控訴人斎藤勝一が選出されたほか、同副委員長に後藤利章が、その余の被控訴人らを含む九名の本部執行委員が選出された。

(8) そこで、三浦一昭らは、昭和五七年一一月一七日、神戸地方裁判所に対し右続開大会でなされた権利停止処分の停止を求める仮処分申請を、また、田中康紀らは、同月二〇日、前記本部役員の地位保全を求める仮処分申請を、また、同年一二月二七日、三浦一昭は、右続開大会で被控訴人斎藤勝一を本部執行委員長に選出した行為の効力停止を求める仮処分をそれぞれ申請した。

神戸地方裁判所は、右一一月一七日付申請にかかる仮処分を同年一二月二日に、右一二月二七日付申請にかかる仮処分を同五八年二月二五日に、それぞれ認容する旨の決定をし、右一一月二〇日付申請については、同五八年三月三一日、債権者らが各主張の役員に就任済であること等を理由に却下した。

(四)  昭和五七年一二月以降の状況

三浦一昭らが、昭和五七年一二月以降「ネッスル日本労働組合」の各支部において「支部大会」を開催し、同五八年三月新たに「ネッスル日本労働組合」の本部役員の選挙を行い、同年六月四、五日、第一回臨時全国大会を、同年八月二七、二八日第一八回定期全国大会を、それぞれ開催したこと、同年一月一五日被控訴人斎藤勝一を中心とする約三〇〇名の構成員が集会を開催したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 三浦一昭を「ネッスル日本労働組合」の本部執行委員長とする組合員ら(新組合派)は、昭和五七年一二月一五日に大阪支部大会、同月一九日に島田支部大会、同五八年一月一四日に姫路支部大会、翌一五日に神戸支部大会、翌一六日に東京及び広田の各支部大会をそれぞれ開催し、右各大会で、三浦新体制を支持する旨の決議を行った。

(2) 三浦一昭は、未だ本部副委員長及び同執行委員九名が未確定であるとして、昭和五八年三月一六日、本部執行委員長の名により、本部選挙管理委員会に対し、前示本部役員選挙において有効投票総数の過半数を得ることができなかった副執行委員長候補者村谷政俊及び九名の本部執行委員候補者について、旧組合規約に基づく信任投票を行うべく要請し、これを受けて、本部選挙管理委員長小山尚一を除くその余の選挙管理委員は、同五八年三月一六日、右信任投票を同月一八日から二四日にかけて行う旨公示し、右投票の結果、新組合派の前示候補者九名が信任され(以下、この時以降の新組合派による組合を、便宜新組合という。)、第一組合派の植野修が不信任となった。右投票については、被控訴人斎藤勝一を本部執行委員長とする組合員ら(第一組合派)の組合員に対しても投票権を認めたので、その組合員総数は二一二五名であり、また、右投票に際しては第一組合に所属する植野修をも候補者として取り扱った。

右投票の結果に基づき、新組合は、同年三月三〇日、会社に対し、新本部四役の就任を報告するとともに、右本部役員のもとに、同年五月一二日、第一回臨時全国大会を同年六月四、五日に開催する旨決定し、同日開催された右臨時大会では、「ネッスル日本労働組合」の昭和五七年度本部選挙において、三浦一昭ら現本部役員が選任され就任したこと、前記(1)記載の「ネッスル日本労働組合」の各支部定期大会の開催及び決議などが総て有効であって第一七回定期全国大会における決議、確認は総て無効であること、被控訴人斎藤勝一と行動を共にする第一組合の組合員は組合規約に反する分派行動であり、組合統制違反行為であることを確認する旨の決議及び組合の統一と団結強化のため、右第一組合の組合員は分派行動を直ちに止めて組合に服させること等の決議がなされた。

さらに、新組合の本部執行委員会は、同年八月二七日、二八日に第一八回定期全国大会を開催したが、右大会に先立って予定されていた大会代議員選挙及び本部役員選挙は、立候補者がいずれも定数どおりであったことから、右大会で信任投票が行われ、全員信任された。

なお、三浦一昭は、昭和五九年八月二六日に本部執行委員長を退任し、同日村谷政俊が執行委員長に就任した。

(3) 新組合においては、昭和五八年六月の臨時全国大会及び同年八月の第一八回から同六一年の第二一回定期全国大会に至る各定期全国大会において、第一組合の組合員もその組合員として取り扱っており、これら組合員数を基準として各支部に大会代議員を割り当て、また、第一組合の組合員に対しても選挙、全国大会等の通知をしており、同六三年六月三〇日現在の組合員数は二〇一八人である。ところで、旧組合の組合規約では、組合員の脱退については、脱退届を所属支部を経て本部執行委員長に提出し、本部執行委員長がこれを認めた場合は組合を脱退することができると定められており、組合員の除名については、組合員が組合の規約に違反したとき、組合の決議に違反したとき、組合の名誉を汚し、あるいは活動を妨げたとき、その他組合員として不適当と認めた者は、制裁を受けることがあり、制裁のうち除名等は、本部審査委員会の議を経て、全国大会の決議によって決定しなければならないと定められていた。そして、その前後を通じて第一組合においても、新組合においても、その組合員について、このような脱退あるいは除名の手続はとられていない。

また、旧組合は、昭和四七年九月に上部団体である全日本食品労働組合連合会に加入していたが、同五八年以後は新組合が引き続きこれに加盟しており、更に、新組合は右連合会に対し、同年以降も第一組合の組合員を含めた人数(二〇〇〇名を超える。)について会費を納入している。

(4) 他方、第一組合派の執行部は、昭和五七年一一月一九日及び二〇日に第一回本部執行委員会を開催し、「団結強化のための方針」、その付帯決議等の第一七回定期全国大会の諸決議を実践することを決定し、「団結強化のための方針」を実践する立場での支部執行体制を早期に確立するために、全支部で統一的に同五八年一月一五日若しくは一六日に支部大会を開催することなどを決定し、次いで、同五七年一二月五日の本部執行委員会において、新組合派による前記支部大会の開催や、代議員・役員選挙実行はインフォーマル組織による支部乗取りの企てであるとして、旧組合の組合員らに対し、右三浦らによる支部大会、選挙に参加しないよう呼び掛けると共に、これらに参加しない旨の確認書の提出を求める一方、第一組合派は、前記支部大会とは別に、右確認書を提出した組合員を構成員として、同五七年一二月一九日に島田支部大会、同月二五日に神戸支部大会及び姫路支部大会、翌二六日に東京支部大会、同五八年一月八日に日高支部大会、翌九日に霞ヶ浦支部大会を各開催した。

(5) また、第一組合派は、昭和五七年一二月二九日、第四回執行委員会において、右確認書を同五八年一月九日までに提出した者を「ネッスル日本労働組合」の組合員とみなし、この者をもって、第一八回臨時全国大会を同月一五日に開催することを決定し、次いで、昭和五八年一月四日、「ネッスル日本労働組合本部執行委員長斎藤勝一」の名義で会社に対し、組合分裂を策する集団があり、本来の組合員たる者の範囲を確定することが困難な状態になっているとして、チェックオフ協定を破棄する旨申し入れた。

(6) 第一組合は、約三〇〇名の組合員が同五八年一月九日までに右確認書を提出したので、第一組合派は、同人らをもって「ネッスル日本労働組合」の構成員と確定し、同月一五日第一八回臨時全国大会を開催した。同大会の議案書には、インフォーマル組織により組合分裂が強行され、確認書を提出しなかった者は「ネッスル日本労働組合」を集団的に脱退したものであり、この大会は全国的規模で「ネッスル日本労働組合」の組合員を確定し、かつそのもとでの活動方針を確立するものであるとの記載がある。

(7) 次いで、第一組合派の本部執行委員会は、昭和五八年三月二〇日、前記構成員(人数は多少増減した。)をもって、第一九回臨時全国大会を開催し、同大会では、大会代議員による本部役員選挙が実施され、かつ旧組合規約の改訂が行われた。右改訂された部分のうち、主なるものは次のとおりである。

〈1〉 組合規約一条の「名称」に「略称はネッスル第一組合とする。」を加えた。

〈2〉 三条の「目的」について「組合員の強固な団結により労働条件の維持改善を図ること等を目的とする。」とあるのを、「組合員の強固な団結により、分裂を克服して労働条件の維持改善を図ること等を目的とする。」と改められた。

〈3〉 「支部」の定めについては、「支部は本部と組合員との間の意思交流の徹底を図るために、その支部に関する一般組合活動を行う機構であって、支部執行委員会で運営される。」との条項(第一五条三項)及び「支部は、規約及び上級機関の決定に反しない限り、その業務遂行の自主性が認められる。」との条項(同第四項)が削除され、「支部は、規約・本部機関の決定に従って活動し、その自主性が認められる。」「支部の規約は、この規約に準じて別に定める。」との各条項(同四、五項)が加えられた。

〈4〉 「団体交渉権は、本部、支部及び分会が持つ。」との規定(第七〇条の二)及び「支部には活動費を支給する。その金額は全国大会で決定する。支部の会計は、六月末において支部会計監査を受けて本部執行委員会に報告しなければならない。」との規定(第七三条の二)が新たに設けられた。なお、右規約は、その後屡次の改正がなされた結果、支部、分会に関する多くの規定が削除されるなどして、昭和五九年五月には全文八一条から六一条となった(旧組合規約の全文は七八条である。)。

(8) 第一組合の組合員は、昭和五八年三月二〇日に開催された第一九回臨時全国大会代議員選挙の公示によれば二六九名とされており、同六三年七月一六日、一七日に開催された第二八回定期全国大会の議案書によれば八一名とされている。

(9) 第一組合は、前記のとおり会社に対し、昭和五八年一月にチェック・オフ協定の破棄を通告したが、会社はその後もチェック・オフを続行し、組合費を新組合に引渡していたので、第一組合の四支部において組合費の控除禁止を求める仮処分を申請し、いずれも認容されている。また、チェック・オフの継続等を不当労働行為であるとする労働委員会に対する救済命令の申立も認容されている。

2  以上に認定した事実によれば、旧組合は、第一七回定期全国大会の開催を決定しこれを延期した昭和五七年七月ころから、被控訴人斎藤勝一を支持する第一組合派と三浦一昭を支持する新組合派とに分かれて対立、拮抗し、それぞれ個別の組合活動を推進し、同五八年三月には、両組合派はそれぞれ本部役員等の執行組織を整え、第一組合派は、同年三月二〇日の第一九回臨時大会において旧組合規約を改正し、新組合派も、同年六月に旧組合規約に則って臨時大会を開催しているのであるから、第一組合は、固有の代表者、決議、執行機関を有し、独自の規約を備えており、自主的に組合活動を行っていたのであって、それ自体控訴人とは別個独立の活動体としての権利能力なき社団と認められ、従ってそのころには、会社内において第一組合及び新組合(控訴人)の二個の労働組合が併存するに至ったものといわざるを得ない。

3  ところで、旧組合内において、異質集団の対立が甚だしく、そのためにその構成員の一部が新組合を結成し、新組合と旧組合の残留組合員による組合とが対峙するに至ったからといって、そのことだけから直ちに旧組合が分解・消滅したと評価することはできないから、旧組合が分裂によって消滅したかどうかは、旧組合が内部対立により、統一的な存続、活動が極めて高度かつ永続的に困難となり、その結果旧組合員の集団的離脱及びそれに続く新組合の結成という事態が生じた場合に初めて検討を要することになるのである。

4  そこで、この見地からこれを本件についてみるに、前示認定事実によれば、控訴人は、旧組合と名称、目的を同じくする旧組合の規約、諸規定に基づき全国大会の開催その他の組合運営を行い、またその構成員である組合員の資格要件も旧組合のそれと同一(第一組合員も組合員としている。)であって、本部執行委員長三浦一昭、同書記長田中康紀、同副書記長浜田一男は、昭和五七年九月三〇日旧組合の規約に基づいて実施された旧組合本部役員選挙における組合員の一般投票により、その過半数の投票を得て当選し、得票数が過半数にみたなかった副執行委員長村谷政俊及び本部執行委員八名も、右規約及び選挙規程に基づき同五八年三月二四日までに実施された信任投票によって信任されて選出され、控訴人は、上部団体である全日本食品労働組合連合会に引き続いて加入しており、これに対して、第一組合は、昭和五八年三月二〇日の第一九回臨時全国大会において、旧組合規約を改正してこれを規約としているのであるが、その改正された規約は、名称、目的、組合員の資格等の点について旧組合規約のそれと大差はないが、支部の団体交渉権等につき広い自主性を認める等重要な点においてこれと異なっており、右規約の改正及びこれに先立ち同五七年一一月一三日の全国定期大会続開大会においてなされた本部執行委員長斎藤勝一、同副委員長、その余の被控訴人らを含む本部執行委員九名の選挙並びに組合員の資格要件として「確認書」の提出を要求したことは、いずれも旧組合の立場からすると組合規約に違反して無効なものといわなければならないし、また上部団体にも加盟していないというのであるから、新組合(控訴人)は、旧組合の存立基盤たる組合規約を同一にし、これと組織的同一性を保って存続しているものといわなければならないが、第一組合は、旧組合に対立する一部少数の組合員(第一組合派)が旧組合を離脱して、第一組合を結成し、旧組合(新組合)と対峙するに至ったものというべきである。

そうすると、第一組合が旧組合から分化した結果、会社には、旧組合の残留組合員による新組合(旧組合)と第一組合とが併存するに至ったけれども、そのため旧組合の統一的な存続、活動が極めて高度かつ永続的に困難となったものではないから、旧組合の構成員の一部がこれを離脱して第一組合を結成し、旧組合(新組合)と対峙するにいたったからといって、これを分裂と目し、旧組合がそのため分解、消滅したものとは到底認めることはできない。

被控訴人らの主張は、いずれも採用することができない。

5  事案に鑑み、この点についての被控訴人らの主張についてさらに判断を加える。

(一)  被控訴人らは、控訴人(新組合)は、第一組合員を脱退させる役割を担った御用組織であって労働組合の名を藉りた「会社の労務管理部」であり、また、新組合派は、大会代議員七七名中三五名の代議員しか組織できず、従ってその過半数すら制し得なかったことなどからすると、控訴人は旧組合の承継者たり得ない旨主張するが、控訴人が第一組合員を脱退させる役割を担った御用組織であって、労働組合の名を藉りた「会社の労務管理部」であるとの事実を認めるに足りる証拠はなく、また、新組合派の大会代議員が七七名のうち過半数に満たない三五名であることをもって、新組合が旧組合と同一性をもって存続しているとの右結論を左右することのできないことは、前示認定事実からして明らかである。

(二)  また、被控訴人らは、昭和五七年一一月開催の第一七回定期全国大会において定足数を欠くに至ったのは三浦一昭ら新組合派が代議員の欠席戦術をとったがためであって、それは多数決原理を否定するものであり、それがため旧組合は,その機能も急速に衰弱化し喪失して、第一組合、新組合の併存が確定的となった同五八年三月二〇日の時点において自然に消滅したと主張し、前示認定事実によれば、第一七回全国定期大会、その続開大会及びその前後において、旧組合の組合員は第一組合派と新組合派の二つに分かれて対立、拮抗していたというのであるから、旧組合の組合大会を開催できるような状態になく、従ってそのころ被控訴人らの主張する多数決原理を働かせる余地がなかったことを窺知することができるけれども、旧組合の本部執行委員長に就任した三浦一昭らがその後旧組合規約、選挙規定に基づいて欠けていた役員を選任し、組合大会の開催その他組合を運営してきたが、その組合(新組合)が旧組合と同一性を有することも、前に説示したとおりであるから、旧組合が被控訴人らの主張するように、自然に消滅したものと認めることはできない。

(三)  被控訴人らは、三浦一昭が昭和五七年一〇月に実施された本部役員選挙において過半数の得票を得たこと、第一七回定期全国大会、同続開大会において定足数の不足を来したのは会社の指示によるインフォーマル・グループの策謀、すなわち会社の不当労働行為によるものである旨主張するが、右選挙の点の主張に符合する〈証拠〉は、原審証人三浦一昭の証言に照らして容易に措信できず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠は存しない。また、第一七回定期全国大会、同続開大会における定足数の不足が、仮に会社の不当労働行為によるものであったとしても、そのために定足数を欠く決議が許され、その決議が有効となると解すべき根拠はない。

(四)  被控訴人らは、第一七回定期全国大会、同続開大会に欠席した新組合派の大会代議員三五名の者は、代議員権を濫用し、その資格を自ら放棄したものとして定足数の基礎に算入しないことが許される旨主張するが、定足数を定めた組合規約は、労働組合の存立の基盤をなすものであって、これを無視することは自殺行為に比すべきものであるから、到底所論に賛同することはできないが、この点を暫く措くとしても、そのいうところの旧組合規約が大会代議員に対し特別の出席、参加義務を課していることから、その大会代議員が大会に欠席しそれが例え意図的なものであったとしても、欠席の理由が前説示のものである以上、直ちに代議員権を濫用したものということはできないし、もとよりその資格を自ら放棄したものと認め得ないことはいうまでもない。

(五)  被控訴人らは、控訴人の幹部自身も旧組合から統制処分を受けている旨主張するが、三浦一昭らが第一七回定期全国大会及びその続開大会において二度にわたり権利停止の統制処分の決議を受けたことは、前示のとおりであるが、右各決議が旧組合規約に定める定足数を欠いたため旧組合の大会決議として無効なものであることも、すでに認定したとおりである。

被控訴人らの主張は、いずれも理由がない。

三  本件印章等の請求について判断する。

1  旧組合が本件印章等を所有していたことは、当事者間に争いがないから、旧組合と組織的同一性を有する控訴人が右印章等につき所有権を有することは明らかである。

2  ところで、被控訴人らは、第一組合の機関として本件印章等を占有しているのであるから、被控訴人らには本件印章等の返還請求訴訟についての被告適格がないと主張するけれども、給付訴訟においては、給付義務を負うと主張された者が被告適格を有するのであるところ、本訴において、控訴人は被控訴人らを相手どり本件印章等の請求に及んでいるのであるから、右被控訴人らの主張は失当である。

3  そこで、被控訴人らが本件印章等を占有しているか否かにつき検討する。

(1) 〈証拠〉を総合すると、被控訴人大原勝弘、同椿弘人は、第一組合の本部役員の地位にあって、その職務の一環として本件印章等を占有していたところ、被控訴人大原は、同六一年七月一二日、一三日開催の第一組合の第二五回定期全国大会において書記長を、被控訴人椿は、同六三年七月一六日、一七日開催の同組合の第二八回定期全国大会で副書記長を、それぞれ退任し、現在は同組合の機関としても、個人としても本件印章等を占有していないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

したがって、控訴人の、被控訴人大原、同椿に対する所有権に基づく本件印章等の返還請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

(2) 次に、右(1)掲記の証拠によれば、第一組合の執行委員長である被控訴人斎藤及び同書記長である被控訴人中川は、同組合の機関として本件印章等を占有している事実を認めることができるから、右各物件の占有者は第一組合であって、右被控訴人らが個人として占有者たる地位にあるものではないと解するので相当である。

したがって、控訴人の右被控訴人らに対する所有権に基づく本件印章等の返還請求も又失当である。

4  控訴人は、被控訴人らが昭和五七年一一月一四日から同五八年二月二五日まで控訴人の委託を受けて本件印章等を占有保管していたところ、同五八年二月二五日右職務が終了したと主張する。

労働組合とその執行委員長、その他の役員との関係は、委任関係であるが、前示認定のとおり、被控訴人斎藤は昭和五七年一一月一三日における旧組合の第一七回定期全国大会の続開大会の決議によって執行委員長に選任されたが、右決議は定足数を欠いて無効であり、被控訴人中川は同六一年七月一二日、一三日に開催された第一組合の定期全国大会において書記長として選任された者であるから、いずれも旧組合と同一性を有する控訴人と委任関係を有しないものといわなければならないし、また、右被控訴人らが控訴人から本件印章等の保管を委託されたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、控訴人の委託契約に基づく返還請求も又失当といわなければならない。

四  控訴人の被控訴人らに対する金銭請求について検討する。

控訴人は、旧組合が昭和五七年六月三〇日の時点で、六九〇万円余円の剰余金を有しており、また同年七月一日以降同年一一月七日までに毎月少なくとも七五〇万円以上の本部組合費が納入され、他方、その支出は一か月六一〇万円であるから、同年一一月七日の時点で旧組合本部には、一〇〇〇万円以上の組合費が残っており、被控訴人らが右金銭を共謀の上違法に費消したと主張するので検討するに、なる程、原審証人三浦一昭は、右時点で旧組合本部には、三〇〇〇万円程の金銭が保管されていたと述べ、また〈証拠〉を総合すると、旧組合には昭和五七年六月三〇日の時点で六九三万〇八一七円の次期繰越金があったこと、当時組合費は会社とのチェック・オフ協定により毎月各組合員の給与から直接組合支部に支払われ、更に右各支部から旧組合本部に本部納入金として送金されており、右支部からの納入金額は昭和五六年度において九二七二万九四六七円であり、これを一月当たりに単純平均すると七七二万七四五五円となり、右金員から同年度の本部経費七三二八万〇一四九円の一か月当たり平均額六一〇万六六七九円を控除すると、一六二万〇七七六円となること、そこで右金額の四か月分である六四八万三一〇四円に前記剰余金六九三万〇八一七円を加算すると一三四一万三九二一円となり、控訴人主張の一〇〇〇万円を超えることになる。しかしながら、他方〈証拠〉に前記三で認定したところを総合すると、昭和五七年七月以降は、被控訴人斎藤勝一などの旧組合本部を支持する第一組合派とこれと立場を異にする三浦一昭を支持する新組合派とが激しい反目、抗争を展開しており、支部から旧組合への納付金が納入されていないものがあったことが認められるほか、このような時期においては、通常より多額の出費を要したであろうことも見易い道理である。そうすると、前記原審証人三浦一昭の証言部分はにわかに採用し難く、もとより前年度の旧組合本部の収支金から昭和五七年一一月七日の時点における旧組合本部の保管金額を推認することも相当でない。これを要するに、右時点において、被控訴人らが保管していた金員が幾何であったかは、控訴人の全立証によっても、これを肯認することはできないのである。

そうすると、控訴人の不法行為又は不当利得に基づく金銭の支払を求める請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当である。

五  以上のとおり、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却すべきところ、これと同旨の原判決は結論において相当であって、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長久保武 裁判官 諸富吉嗣 裁判官 鎌田義勝)

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